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高専出身者の『転職体験記』

高専専攻科卒修士の土木エンジニア、製鉄会社の子会社(九州)から化学メーカー(関西)へ

Information
    • 守脇 啓太 氏 / 36歳
    • 国立 鹿児島工業高等専門学校 専攻科 土木工学専攻 修了
      私立大学 大学院 土木工学専攻 修了
      測量士補
      技術士補(応用理学)

新卒時は、大学院で衛生工学を学んでいたことや、某大手建設コンサルでのアルバイト経験(大学院在籍時)から、建設コンサルへの就職を希望していた。会社説明会は建設コンサルを中心に、ゼネコンの研究開発部門や官公庁も視野に入れていたが、修士論文執筆やTA業務の兼ね合いもあり、官公庁は勉強の時間を確保できないことから断念。

大手総合建設コンサルタント会社から内定を頂いてすぐ、教授から建設コンサルは激務であることや、自身の適性を考慮すると、腰を据えて仕事ができる設計会社が良いのでは、という提案を受けた。当時、設計会社と聞くと建築系の設計会社しか頭に浮かばず、また一から企業研究をするのかと思うとかなり気が重かった。しかし、教授より研究室OBが某鉄鋼メーカー(高炉メーカー)のグループ企業であるエンジニアリング会社に多数在籍している話を聞き、教授から連絡を入れて頂いたところ、役員が研究室に足を運んで下さり、会社説明をして頂いた。
最初のうちは建設コンサル希望をなかなか捨て切れなかったが、某鉄鋼メーカーは世界を代表する大企業であること、その大企業を支える屋台骨であるグループ会社でのやりがいを見出すことができ、そこの入社試験を受け、無事内定をもぎ取った。

入社後、最初の1か月は新入社員の集合研修があり、残り11か月は2~3か月ピッチで様々な部門を体験する部門研修を経験、入社から1年後に設計部門への正式配属が決まった。担当業務は土木設計であったが、土木といってもかなり幅が広く、橋梁の設計や道路に鉄道、プラント設備の基礎やコンクリート造水槽構造物など多岐に亘り、学生時代に勉強した専門教科を総動員し業務に邁進した。

入社前と入社後での認識違いが1点、「コンサルは激務だから」が「ここも激務じゃん!」と思った点に尽きる。終業が24時を過ぎることも多く、徹夜も幾度と経験した。当時は若く、寝ずに仕事をしても体力的にはまだ余裕があったし、色んな案件を担当させてもらえたことで専門知識がつき、仕事の幅もかなり拡がった。当時からよく口にしていたのが、「2倍の濃度で人の1.5倍仕事をする」である。昔から負けず嫌いであったため、人より多く仕事をし、会社の収益に貢献できていると実感することがモチベーションとなっていた。

入社5年が過ぎた頃、研究開発や解析業務をメインとする部門を立ち上げるため、そこの初期メンバーとして選出され、部署間異動となった。少数精鋭の部署でかなりの激務、新技術の導入検討や慣れない解析業務、他部門からの課題検討依頼や技術支援要請など、仕事が尽きない状態で1年が経った頃、別拠点で設計部門を立ち上げてほしいと半ば強引に転勤となった。

設計部門は関東にしか配置されておらず、その他拠点に設計部門は存在しない。基盤がない状態で半ば手探り状態のまま客先への営業、細々とした設計業務の受注が取れてきた矢先、客先への出向入社の話を頂いた。客先から高い評価を受けてのこともあったが、短期間で拠点が変わることや、転勤を伴うことに躊躇したが、前向きな転勤であることは変わりなかったため受け入れることを決意、その間半年。(設計部門立ち上げを命じられ基盤づくりを始めてから)

出向先では、主にオーナー側のエンジニアリング業務を担当し、土木に限らず水処理設備や機械品の新規導入、更新業務にも携わった。前段が長くなったが、ここでの業務が転職のターニングポイントとなった。これまでは元請け会社の立ち位置となるエンジニアリング会社で黙々と仕事をこなす毎日であったが、出向先ではオーナー側となり、大きなお金を動かしながら駆け引きする楽しさや、他部門の方との折衝や技術協議など、これまでとは別次元のハイレベルな仕事を経験した。

出向先で3年近く経った頃、鉄冷えとも言われる鉄需要の悪化で鉄鋼メーカーは大不況に陥ったことで、働き方にも大きな変化があった。残業禁止や臨時休業の実施、最終的には高炉休止や工場閉鎖など不安が続く毎日を過ごしていたとき、「転職」が頭をよぎった。出向先での仕事はやりがいを感じていたし、仕事にも慣れ充実した毎日を送っていたが、いつかは元の会社に戻ること、いつまでもこの生活が続く訳ではなく、鉄の大不況が拍車をかけ不安が募る一方であった。また、出向先から見る自身が勤めるエンジニアリング会社は、社内で仕事をしていた時の印象とは一変し、会社としてのレベルはそこそこで、向上心や向学心が高い人材が極めて少ないことも感じていた。「いい会社はないかな~?」くらいの軽い気持ちで転職エージェントに登録したが、知らない会社を調べることが非常に楽しく、新卒時とは打って変わって多くの企業研究を行った。

エリートネットワークさんと出会ったのは、転職エージェント4社目くらい。1社目が非常に対応が良く、2社目3社目はイマイチだった。実は、1社目の段階では「軽い気持ち」が抜け切れておらず、どうしても100%で転職活動に臨んでいなかった。そんな中で様々な会社・業種をご紹介頂き、化学メーカーを中心に「転職活動を進めてみようかな~」という気になっていた。
エリートネットワークさんと出会ってからは、大手化学メーカーのエンジニアリング職を中心に、エンジニアリング会社も視野に入れていたが、エリートネットワークさんからの紹介もあり電力会社も候補に入れた。担当して頂いた転職カウンセラーの保坂さんは、若くてフレッシュな一方、非常に落ち着いている方で、話し手・聞き手のどちらも器用にこなすスーパーエージェントだった。とりあえず興味が少しでもある会社を受けてみて、結果を出すことが大切と強くおっしゃって頂き、「少し興味ある」くらいの会社も積極的にエントリーさせて頂いた。

ここでそこそこの壁にぶち当たる。きっと転職活動をされたことがある、または転職活動中といった方は、皆さん苦労していると強く思う。
そう、人生でこんなに自分を見つめ直す時間というのは、非常に少ないし貴重である。結局、今の自分は何ができるのか、何が人より長けているのか、エントリーしている会社にとって、自身を採用するメリットは何かなど。新卒というのはいわばブランドであり、ブランド価値があるから売れる。

しかし無名の者は「実績」がなければ売れない。自身を売るためには、書面での実績説明と面接でのプレゼンが非常に重要で、経験者採用ともなれば話し方や考え方、人間性も含めて見られる。いわば、自分を売るチャンスなのである。世の中には様々な商いが存在するが、自分を売るという行為はなかなかハイレベルなことであると実感したし、これがうまく説明・プレゼンできない人間は転職できない=売れ残る。だが、家族の支えもあり、人生一度キリ、色んなことを経験してみたいと前向きに考えることができるようになってからがスムーズだった。

大手化学メーカーから内定を頂き、前職との天秤の日々が続いた。最終的に決断したのはやはり家族会議。人生一度キリ、色んな土地に行って住んで生活してみなきゃ損!との妻の一言に尽きる。本当に妻をはじめ家族には感謝している。
次の職場では、建築系のプラントエンジニアリングが主体となるが、土木系の仕事も細々と存在する。まずは会社の人を覚えること(コロナ禍で在宅多)、ワークフローと社内ルールを知ること、国家資格取得を主体として業務に邁進したいと考えている。そして、会社の中でもキラリ光る人材になれるよう、ムロツヨシ並の社内営業をかけていきたいと思う。(最後のは少し冗談です、笑)

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