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活躍する高専出身者インタビュー

高専の魅力は “ 先生の濃さ ” にあり── “ はみ出し者 ” を育む高専教育の器

Interview

“ 高専出身者で漫画家 ” という異色のキャリアの持ち主でいらっしゃいます。他にも同様の方をご存知ですか?

母校のお世話になった研究室の本棚に漫画作品が置いてあり、指導教官に尋ねたところ、どうやら先輩にも漫画を描く方がいらっしゃったようです。
私は広島県出身で、同県にある呉高専の建築学科に通っていました。建築学科は、元々絵が得意な人が集まりやすいこともあり、中には絵に関する道に進む人もいます。
学科の授業の中でも、図面や家の外観デザインを描く機会があり、スケッチ等も学びました。

どのような経緯で高専に進学しましたか。


「高専進学は、中学3年時の担任の先生の助言が決め手となりました。」

裕福な家庭ではなかったので、大学まで通わせるのは難しいと言われていました。
中学3年生の時、担任の先生に「工業高校への進学を考えている」と伝えたところ、「(経済的な理由で大学進学を諦めるのは)もったいないから高専に行きなさい」と言われたのです。その時に初めて高専の存在を知りました。
母も国立ならば、と大賛成で、すぐに第一志望校に決まりました。
担任の先生は技術科教員だったのですが、高専という選択肢を提示してくれたことに、今でも感謝しています。

呉高専は4学科ありますが、建築学科を選ばれた理由は?

親が不動産の仕事をしていた関係で、子どもの頃から図面を見る機会が多かったこともあり、最初に工業高校を進路として考えた時から、建築学科志望でした。
あとは、やはり昔から絵を描くことが好きだったからです。玩具を中々買ってもらえなかったので、紙とペンさえあれば、ずっと絵を描いていました。

高専に入学して、印象的だったことは?

まず驚いたのが、入学説明会の時に「君たちは高校生ではありません。大学生と同じ扱いをします」と言われたことです。
更に「クラスメートは40数名のうち、卒業するまでに10人は留年しているでしょう」と、いきなり厳しい現実を突きつけられました。
実際、毎年1~2人は進級できず、1~2人は落第してきた人が加わる、といった状況でした。

高専生は比較的、自由に時間を使うことができますが、常に頭の片隅では気を抜けない状況でした。
服装・髪型も自由で、アルバイトも禁止しない高専が多いですが、それは「やることをちゃんとやっていれば」と、自主性を重んじているからだと確信します。逐一強制しなくても、自分で考えて、動ける学生として扱われているのです。

卒業研究ではどのようなテーマに取り組まれましたか。

地元、呉の建築史について研究しました。
呉には、日本海軍の鎮守府(ちんじゅふ)※1の一つ、呉鎮守府があり、その場所には、もともと亀山神社という神社がありました※2。こうした史実を辿りながら、戦前・戦時中・戦後と移り変わる建造物や風景の様子を描きました。
これも、指導教官の先生が「あなたは絵が得意だから、それを活かしたテーマにしたら」と勧めてくれました。
建築学科は全ての高専に設置されているわけではありませんが、文理融合の研究も行われており、このように地域に密着した研究も実施されています。

※1 日本海軍で警備、部隊の監督等を行う機関。第二次世界大戦時には、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の四鎮守府があった。
※2 明治19年に呉に海軍鎮守府が設置されることが決まり、境内地は海軍用地として接収され、 現在の場所(旧境内地から少し山手にあがった呉市清水)に移転。出典:亀山神社ホームページ

漫画家を本格的に目指したのはいつ頃からですか。

「やはり漫画が描きたい」と思い始めたのは高専2年生の頃からですが、進路については長い間悩みました。

3年生から本格的に作品を描き、漫画投稿サイトに投稿したり、郵送で編集部に作品を送ったりしていました。そして賞は逃しましたが、編集者の目に留まったことで、担当編集がついてくれることになりました。ただ、そんな様子を母は心配し、「まずは就職した方がいい」と言われました。

4年生になり、周囲が本格的に就職に向けて動き出した頃、私は「やっぱり就職したくない」とごねたのです。すると、母が「在学中にデビューできるなら、認めます」と言ってくれて、そこからはもう必死でした。

そして、ついに5年生の秋に「ヤングエース」というWebのコミックサイトでデビューすることが決まりました。
「comico(コミコ)」というサイトにも、在学中からインディーズとして「それゆけ女子高専生」の投稿をしていたのですが、こちらも卒業前に連載の打診を受け、卒業してすぐに本連載を開始しました。

2年生で漫画家に気持ちが傾いてから、学業は辛くなかったですか。

正直、苦しかったです。
仲の良い友人もいましたし、高専の勉強自体も嫌ではありませんでした。
ただ、どうやったら漫画家になれるんだろう、と漠然とした不安はありました。

「それゆけ女子高専生」の主人公には、そうした自分自身の葛藤も投影しています。主人公も建築学科なのですが、このまま建築の道に進むべきか、進路に迷う描写も入れました。
主人公は専攻科まで進学して、迷いながらも、最終的には「高専で良かった」と思える結末です。

高専の先生には、いつ漫画家という進路を打ち明けたのですか。

担任の先生は、他の学生が着々と内定を手にする中、一人だけ就活をしていない私をかなり心配して下さっていたようです。
デビューが決まってから「漫画家の道を選びます」と伝えると、「それなら、早く言ってくれれば良かったのに!」と言われました。
てっきり、否定的なことを言われると思っていたので拍子抜けしましたが、ありがたかったです。
他にも数名の先生に伝えていましたが、どの先生からも反対されることはありませんでした。

実は在学中に、現役の高専生が漫画を描いていることが話題になり、少し問題視されたこともありました。
それで「卒業してから存分に描いてね」とお達しを受けたのですが、その時に対応してくれた先生が、ただ注意するだけでなく「あなたの肌色の塗り方は、あなただけのものだから、続けていってほしい」と言ってくれました。
白地にブルーという配色は、直感的に選んでいたものですが、読者からは「なんで普通の肌色じゃないの?」とよくコメントされていました。
しかし、先生はそこがオリジナリティーだと褒めてくれた。すごく嬉しかったですね。

呉高専の先生方は学生に対する眼差しが温かいですね。


「ずっと絵を描いている姿を見てくれていたので、先生方に漫画家の道を相談した際も反対されることはありませんでした。」

そうなんです。中学、高専と私は本当に先生方に恵まれました。
私が「高専で良かった」と心底思えるのも、自分のやりたいことを否定されなかったからです。
「漫画家になりたい」と相談した時も、先生方は「自分達も建築の研究が好きで、それができる場として高専にいる。分野や職業は違っても、好きなことを仕事にしたいという気持ちは変わらない。だから応援するよ」と言ってくれました。

高専生はキャラクターが “ 濃い ” ですが、先生方も、負けていません。高い技術力や専門性を持ちながらも、学生との距離が近く、先生同士の関係性もフランクです。
そんな “ 高専の先生 ” こそ、高専の魅力だと思います。

ポップな絵が印象的ですが、キャラクターを光らせる観察眼はどのように磨かれたのですか。

自覚したことはなかったのですが、「それゆけ女子高専生」を読んでくれた先生が「観察力あるね」と言ってくれました。
友人に「このキャラクター、〇〇先生がモデルでしょ」と見抜かれたこともあります。

日常の友人との雑談の中で、自然と高専生をあらゆる角度から捉えていたのだと思いますが、恐らく高専生には、無意識的に「自分は(高校生じゃなくて)高専生だ」と、自らを差別化している部分があると思います。
例えば “ 眼鏡をかけている人が多い ” という話は作品でも登場しますが、単に「眼鏡=真面目」で片づけられずに、その奥にある、更に人間的に面白い部分も高専ではさらけ出し易いのかもしれません。

他学科の専門知識やエピソードはどのように情報収集されたのですか。

特に親しかった友人が、機械工学科、環境都市工学科だったので、自然と情報が入ってきました。
例えば、機械工学科の友人が「これマイ・万力(マンリキ)だから」と工具を持ち歩いていた等、自分の体験談がある程度、ベースになっています。

※万力 工作物を強固に挟んで固定する作業工具

「英語ができない高専生」をネタにされていたこともありましたね。

私もそうでしたが、最初は高専に夢見て入学します。
しかし、次第に「この科目は諦めよう」と切り捨てたり、試験勉強は先輩の過去問頼みになったり、段々と疎かになっていく部分が出てきます。
それもまた経験だと思いますが、5年間、大学受験もないので、「中だるみし易い」ということは、よく言われます。
「高専生だから」という自負を持つのは良いことですが、それを言い訳にしてしまってはいけないですし、5年間をどう過ごすかは自分次第だということを、特に現役の学生さんには忘れないでほしいです。

全国高等専門学校プログラミングコンテストの公式サイトでも漫画を描かれています。
在学中にコンテストも経験されたのですか。


2020年からはプロコンレポート漫画も執筆。
高専の先生に褒められた独自の肌の塗り方は健在です。

いえ、コンテストに出たことはありません。
ただ、在学中に全国高等専門学校デザインコンペティション(デザコン)に出場する友人の手伝いをしたことはあります。割り箸で橋の模型を作るのを手伝いました。

全国高等専門学校プログラミングコンテスト(プロコン)は、漫画家になってから初めてきちんと接点を持ち、全国各地の高専に取材をさせて頂きました。
夏休みにどのようにプロコンに取り組んでいるのか学生に質問したり、指導教員の先生方にもご協力頂きました。

この取材を通じて、改めて感じたのは、やはり高専はすごく恵まれた環境だということです。
15歳、16歳からアプリを自作できる学生がいて、それに打ち込める環境があり、指導できる教員がいる。
高専にいると、当たり前に感じるのですが、その環境を自分の血肉にできるのかは自分次第です。
学生には、存分に頑張ってほしいと思いました。

最後に、現役の高専生や高専進学を考えている方に向けて、メッセージをお願いします。

もし、在学中の高専生で「高専に入ったはいいものの・・・」と進路に悩んでいる人がいたら、まずは頑張って卒業してもらいたいです。
私のように進路について相談できる先生がいなかったとしても、高専卒という学歴と技術力の2つの大きな強みが得られます。
将来を現実的に考えた時、「とりあえず、大学に行きなさい」と私が周囲から言われずに済んだのも、高専卒なら就職に有利だという、大きな利点があったからだと思います。

また、高専に進学したからといって、卒業後もその分野に縛られる必要はありません。
高専ではかなりレベルの高い技術教育を受けることができ、大学受験が無い分、じっくりと自分の将来と向き合うことが可能です。
それは最大のメリットですが、そこに付いていくのは容易ではありません。しかし、特定の専門性を身に付けるだけでなく、キャリア設計をはじめ、物事に対する論理的な考え方を身に付けることができる学校です。

ぜひ “ 高専生 ” であることを武器に、自分なりの道を切り開いて下さい。

本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力頂き、ありがとうございました。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。