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活躍する高専出身者インタビュー

複雑で分からないこの世界、生命を探求したい。 15歳から学んだ、一つひとつ実証する喜び。

Interview

堀川様は長岡高専に在学時、どのような学生でしたか?

実は自宅から通える新潟市内の公立高校が第一志望でした。
私が小学生だった1996年にクローン羊のドリーが誕生し、その頃からバイオテクノロジーに興味を持っていました。
医療系への憧れもあり、高校で理数系のコースに進み、大学で医学や薬学を学べたらとイメージしていたのです。
なので、県内とはいえ、「見知らぬ土地で5年間、工業系…」と不安を抱えて入学しました。

高専の併願を勧めてくれた父は、「物質工学科で化学の基礎を学ぶことは、将来何をやるにしても役立つよ」と応援してくれました。
父は電力会社に勤めていたので、「ウチの会社には高専出身の優秀な人が多いよ」とも。
でも私は「早く高専を脱出したい!」の一心でした。高専の課程を3年間修了すると高校卒業と同等の資格がもらえるので、1年生の時から予備校の大学受験コースにも通わせてもらったのです。
周囲には言えず孤独な挑戦でしたが、高専の勉強も受験勉強も両立しようと頑張りました。

ところが次第に高専の授業のほうが面白くなっていて。
小中学では算数が苦手で、受験勉強でも「公式を覚えなきゃ」という意識が強かったのですが、高専では数学にのめり込みました。
例えば低学年から学び始めた微分積分は専門科目で必要となるので、実学として身に付いたのだと思います。

一方で、高専生には大学の編入学のチャンスがあることも知りました。
高専でしっかり学ぶことが、大学進学につながるのだと、ようやく霧が晴れた気分でした。
予備校を辞めたいと言った時、両親には、楽な方に流れているように見えたと思いますが、もう一度頭を下げ、高専の勉強に専念すると決心しました。

高専の先輩には卒業後に海外の大学に編入学した人もいて、目を開かれる思いでした。
5年後には人生を自分でデザインする選択肢がここまで広がるんだと知り、私自身も将来どういうキャリアを歩んでいきたいのか、自分なりに考えるようになりました。

長岡高専での5年間を振り返って、今でも忘れがたい学びの経験はありましたか。


当初は普通に大学受験をするつもりで並行して予備校に通っていましたが、勉強を続けるうちに高専の授業のほうが面白くなりました。
学生に向き合ってくれる高専の先生方に次第に心を開いていきました。

改めて思い返すと、長岡高専で学び始めた時期から、自分の中に科学との向き合い方が形作られていったように感じます。

実験・実習が多く、化学反応を使って青写真を現像したり、化学工学で金属のふるいを使って粒度を測定してみたり。
物理の実験で、重力加速度G=9.80665…を検証するため、校舎の上から球を落としてストップウォッチで何度も計測し、球が地面に到達するまでの時間と距離から算出したことも印象に残っています。
実験は教科書通りにいったり、いかなかったりで、「人類はこうやって科学を積み上げてきたんだ…」と思いを馳せることができました。実験しては調べ、考察することを繰り返す中で、複雑な事象との向き合い方を叩き込まれたと思います。

寮生活では、学年・学科を越えた人付き合いができました。
15歳の私にとって新鮮な驚きだったのは、寮の運営が基本的に学生の自主性に委ねられていたことです。
高専は大学と同じく高等教育機関なので、教えを受ける「生徒」ではなく、自立して学ぶ「学生」として扱われます。
そのような集団生活の中で定められたルールには、どれも理由がありました。
例えば、食堂ではイスをしっかり引いて後ろの通路を通りやすくするなど、周囲への配慮を学びました。
目上の人との接し方から、時間管理まで、社会人として自立した生活を送る上での基盤ができました。

長岡高専卒業後は大学に編入し、その後、大学院にも進学されていますね。

長岡高専の物質工学科には生物応用コースもありますが、私は生物有機化学の研究室に入りたかったので材料工学コースを選択しました。

大学からはいよいよ本格的にバイオテクノロジーを学ぶため、東京工業大学の生命理工学部に3年次編入しました。
「志望校に入れた!」と喜んだのも束の間、大学の専門科目は質・量ともに予想以上に手強いものでした。
高専でも第二言語など一般教養の授業もありましたが、大学の単位としては足りず、編入後に追加履修が必要でした。
一般教養と専門科目の講義は別キャンパスだったこともあり、3年生の時は時間的にもあまり余裕のない大学生活でした。

そこで役立ったのが、「分からないことがあったら、とことん先生に聞こう」という高専時代に培った姿勢でした。
高専では先生との距離が近かったので、その感覚で大学でも遠慮なく尋ねました。
また、私と同様に高専から編入した同期のネットワークにも助けられました。
同学部には各高専から7名ほどの編入生がいて、「高専」という共通項で仲間意識を持てました。
かといって編入生だけで固まるわけでもなく、多くの友人に助けられながら、試験も乗り切っていきました。

大学院では、大腸菌について研究しました。
もともと私が生命科学に興味を持ったのは、人間のことをもっと理解したいと思ったから。
それなのに大腸菌のような単細胞生物ですら、まだ分からないこともあるのだと驚きました。
ポルフィリンという赤血球のヘモグロビンに含まれるタンパク質の骨格分子があり、高専ではこれを有機合成する研究に取り組んでいました。
大学院では、大腸菌を使ってポルフィリンの代謝や排出に関する研究をし、化学と生物を横断することができました。

大学院を修了後、社会人としてのキャリアで、堀川様にとって転機となった出来事を中心に教えて頂けますか。


科学を伝える人になりたい、と日本科学未来館の「科学コミュニケーター」へ転職。
科学技術について来館者と対話を重ね、コミュニケーションの難しさ、尊さを知りました。
同時に人の興味関心は千差万別であり、多様性を受け止めることの大事さも学びました。

科学コミュニケーター及びサイエンスライターとして独立するまでには、民間企業や独立行政法人での勤務経験があります。

就職活動では、製薬会社や、食の面から健康に貢献できる食品会社の研究職を志望しました。
しかし就活は難航し、どんな風に働きたいのか改めて考える中で、ライフラインを守るために働いていた父の姿が浮かびました。
直接、人々に届く製品でなくても食料生産という根幹を支えたいと、農薬・種苗メーカーに総合職として就職。
新入社員研修の一環で、本格的な農業実習にも取り組み、生産現場の苦労を垣間見ました。
その後は営業部門に配属となり、研究開発に携われないもどかしさもありましたが、社内外の声が入る環境に身を置いたことで、食の安全に関するリスクコミュニケーションに関心を持つようになりました。

そこから科学コミュニケーションに巡り合い、「やはり科学と関わり続けていきたい」と国の科学館である日本科学未来館(※)に転職しました。
ここでは「科学コミュニケーター」として、展示物やイベントを企画し、最先端の科学技術について来館者と対話を重ねました。
老若男女、さらに海外のお客様など、様々な人との対話から教えられたことはたくさんあります。
人の価値観は本当に多様で、正しく伝えたつもりでも相手の受け取り方は千差万別。その多様性を受け止めながら、瞬時にテーマや話し方を選択し、互いに視野を広げ、考えを深めようとする営みは、きっと人類に普遍的に求められるコミュニケーションなのではないかと思いました。

未来館では科学記事の執筆業務も経験しました。
「科学コミュニケーターブログ」では比較的、自由にテーマ設定や表現の仕方を工夫することができ、直接会ったことのない読者からの反響が嬉しく、多くの人に届けられる喜びを知りました。
ある日、電車の中で、監修に携わった科学マンガを食い入るように読んでいた子どもを見かけ、出版業界への憧れも強まりました。
この頃から副業でサイエンスライターとして活動を始め、ウェブメディアに転職後、独立しました。

※東京都江東区にある日本科学未来館は「科学技術を文化として捉え、社会に対する役割と未来の可能性について考え、語り合うための、すべての人々にひらかれた場」を設立の理念に開館した国立の科学館。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運営している。

科学コミュニケーターとして、堀川様は今後どのようなテーマを手掛けていこうとお考えですか。

2020年以降、私たちはCOVID-19の感染拡大と向き合いながら、共存する道を探ってきました。
不確実性の高い「分からない状態」を受け止めるのは難しいことですが、やがてパッと光が差す瞬間があります。
でも、新しい事が分かれば分かるほど、新たな謎も見えてきます。
私にとってサイエンスの魅力とは、分かり切らないものを追いながら、新しい一筋の光のようなものが意識に入ってくることなのです。

このような思いから、科学コミュニケーターという立場では、わかりやすく解説することに留まらず、問いを共有することも大切にしています。
『みんなはどう思う? 感染症』という本では、医学的・生物学的に「現時点で分かっていること」「まだ分かっていないこと」を明示しつつ、「なぜ自粛警察が現れるのか」といった、社会的な問題にも触れています。

最近は子育てを通じて、人間には元来、「科学する心」があるのかもしれないと思うようにもなりました。
離乳食をわざと落として観察してみたり、突然ハッとするような質問をしてきたり。子ども達にとって理科が勉強科目になる前に、科学に対する敷居を下げて親しんでもらえるように仕掛けていきたいですね。

高専生の産学共同プロジェクトなどの取材記事も多数手掛けておられる堀川様は、高専の未来にどのような期待を寄せていますか。


高専のカリキュラムに真剣に臨めば、卒業後に十分社会で通用する人材に成長できると思います。
他専攻の情報も入りやすく、工学系のネットワークが自然に形成されます。それが後々、役に立つことも多々あります。
在学中から様々な社会課題に目を向け、日々の学びを活かそうと奮闘する現役高専生に私も刺激を受けています。

母校の長岡高専を皮切りに、サイエンスライターとして全国で10校のプロジェクトを取材して感じたのは、全国の高専ネットワークがますます強化されていること、それが高専ならではの優位性になっているということでした。

例えば、舞鶴高専では地域のインフラメンテナンスを担う人材育成を進めていますが、インフラの老朽化は全国的な問題です。高専ネットワークを活用し、活動を展開しています。
また、ロボコンをはじめ各種コンテストでも、全国の高専生が切磋琢磨しています。

多くの高専で、先生方は学生と実社会との接点を増やそうと尽力されています。
学生のみなさんも地域の悩み事などに応えようと頑張っています。起業する学生も増え、私が在籍していた頃より、かなりアクティブだと感じます。
コンテストで入賞したり、メディアに取り上げられたり、活躍する学生がいると、そうでない人は引け目を感じるかもしれません。
取材でも「二極化している」という話を耳にしましたが、私はどの高専生にも、高専で学んでいることに自信をもってほしいと思います。

最後に、高専生や卒業生に伝えたいこと等、先輩としてメッセージをお願いいたします。

高専では5年間、一貫して専門性を高めることができます。
一方で、固定化しがちな人間関係に悩む人もいれば、大学受験がない気の緩みから苦い経験をする人もいます。

そんな時こそ、高専のリソースを丸ごと使って、在籍する学科や学校にこだわらず、他校の高専生と交流したり、OB・OGから話を聞くのが良いかもしれません。
「何か特別なことをやらなきゃ」と焦る必要はなく、日々、高専で真剣に学んでいれば、社会に通用する人材となって卒業できるはず。
国立高専のモデルコアカリキュラムでは、最低限の能力水準・修得内容である「コア」と、一層の高度化を図る「モデル」が提示されていますが、高専機構や各校の先生方のお話からも、かなり練られていると感じます。
まずは目の前のことにしっかり取り組んで欲しいです。

私自身も、高専時代に実験レポートをたくさん書いて先生方の添削を受けてきた経験が、ライターとしての基盤になっています。
みなさんが将来、どのような職業を選ぶとしても、高専で手を動かし、頭を使った経験は応用が効くものです。
今は、異分野の融合から新しい価値を創出しようとする時代。高専では他学科・他専攻の情報も入りやすく、工学系のネットワークが自然に形成されます。
この恵まれた環境で多くの経験知を得て、自分なりのキャリアを築いて頂ければと願っています。

本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力頂き、ありがとうございました。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。