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高専インタビュー

広島商船高専は、日本の海上交通を支えていく次世代海洋人材の発掘と輩出を担っています。

Interview

広島商船高専の概要についてご紹介下さい。


広島商船高専は、瀬戸内海 芸予諸島の大崎上島(おおさきかみじま)に位置し、風光明媚かつ海事教育機関として恵まれた立地にあります。

商船高専とは、船員教育を主眼に置いた商船学科を持つ国立高等専門学校(以下、高専)です。当校の他、富山県に富山高専(2009年に、富山商船高専が富山工業高専と統合)、三重県に鳥羽商船高専、山口県に大島商船高専、愛媛県に弓削商船高専の5校が設置され、現在に至るまで航海士や機関士といった海事技術者を数多く輩出してきました。

当校は、明治31年に創立された『豊田郡東野村外12か町村組合立芸陽海員学校』から続く、120年の歴史を誇る学校です。
創立以来、幾多の学校名と教育体制の変遷を経てきましたが、昭和42年に国立学校設置法の一部改正を受けて、今に続く広島商船高専となりました。現在の本科課程は商船学科、電子制御工学科、流通情報工学科の3学科から構成され、専攻科課程は海事システム工学専攻と産業システム工学専攻が設置されています。

本校が商船学科以外に電子制御工学科、流通情報工学科を備えることには大きな意味があります。海上物流を担う海運業界は、船舶の航行を担う航海士と機関士のみを必要としている訳ではありません。船舶が運搬する貨物となる製品の開発・製造に深く関わる人材、さらには商船の航行を物流という大きな枠組みの中で捉える人材の育成を目的に、それぞれ電子制御工学科と流通情報工学科が設けられたのです。運ぶ(商船)・つくる(電子制御工学)・管理する(流通情報工学)が揃ってこそ、海運業界に向けた人材輩出機関の使命を果たせると考えています。

広島商船高専の特徴的な取り組みを教えて下さい。


平成9年1月20日に就航し、航海実習・実験実習及び学術研究(教員・企業・大学などの研究機関との共同研究)に使用されている練習船「広島丸」。

実習を重んじる高専の気風は本校においても色濃く、その一環として航海実習・実験実習及び学術研究に使用する、全長57メートル・234トンの練習船である「広島丸」を保有しています。
特に商船科において航海実習の意義は大きく、練習船は航海の「技」を磨くために不可欠な設備です。教室で知識を獲得することはもちろん重要ですが、高度かつ臨機応変な操船技術や機関操作技術といった「技」の体得は、船上での実習無くしては成し得ません。また、海事技術者としての基本スキルの指導に加え、長期の外航乗船勤務を想定し、集団生活に欠かせない掃除やベッドメイキングなど船上生活の指導も行います。

基礎的な知識を身につけ、それを正しく使用できる人材を育むためには、正解を安易に教えてはならないと私は考えています。正解に至るために必要以上に手伝ってしまうような教え方では、学生の力が伸びないからです。大切なのは、学生本人が自ら正解にたどり着ける本当の実力を養うこと。それには悩み、考え抜き、知恵を絞っていく過程が必要です。こうした状況を提供する場が、実習なのです。これは商船学科に限ったことではなく、電子制御工学科と流通情報工学科においても同様です。

地域社会との連携についてお聞かせ下さい。


広島丸の操舵室(ブリッジ)における実習の様子

瀬戸内海芸予諸島の大崎上島にある本校は、島内の方々以外とは交流が容易ではない立地と言えます。これを乗り越えることを可能にするのが広島丸の存在です。瀬戸内各地のみならず、宮崎方面にも回航し、本船を活用した公開講座や海上教室・体験航海などを行っています。
こうした地域社会との連携は、工業高専が進めている特定の地域産業への貢献目的とは異なり、『海運業に就くことを望む少年層の醸成』という国家レベルで注力すべきと言っても過言ではない重要な役割を担っているのです。
平成30年度には、高専と地域社会が連携した総合体験型学習イベント「高専フェア」を実施しました。目的は、次世代海洋人材の発掘と確保です。商船系高専の他にも工業高専や大手海運会社、海事関連団体、自治体が連携し、一般向けの体験航海、大型フェリー見学、ものづくり体験、船内宿泊体験学習、講演会など海洋教育に紐づくイベントを開催。小・中学生、幼児、そして保護者に向けた船の世界のPRを行いました。


出力1300馬力の広島丸の機関室(エンジンルーム)。日頃の点検等も学生が担います。

こうした海洋人材の発掘と確保に注力する背景には、十数年前に商船高専の入学志願者の減少傾向が社会問題として浮上したことがあげられます。このままでは、海運業界に十分な数の優秀な人材を送り込めないという危機感が商船高専5校共通のものとなりました。
輸出入の大半を海上物流に頼る日本において、外洋に出て海外との海上輸送を担う「外航海運」は言うまでもなく、国内各地を結んで海上輸送を担う「内航海運」も、日本の産業全体を支えている存在です。この物流の基幹ネットワークに、人材面の欠損が出てはなりません。
そこでまずは2008年に、瀬戸内の3商船高専(広島、大島、弓削)が連携し、1度の試験で複数校の出願が可能な「複数校受験制度」をスタートさせました。これは3校のうち、1校の商船学科を第一志望校、他校の商船学科を第二志望、第三志望とした3校にかかる選抜への出願を認めるものです。受験料は1校分でよく、推薦選抜が不合格の後でもこの制度を利用可能です。これにより、商船学科への志望者の入学の間口が広がりました。
他にも、マスコミを通したPR活動や、瀬戸内3校で手分けして全国の中学校への進学PRの訪問活動を行いました。こうした地道な施策が実り、近年は入学志望者が増加傾向に転じました。現在、商船学科の卒業生の約8割は船員になり、残りの卒業生の大半も海洋関係の仕事に従事しています。

しかしながら、抜本的な志望者増加策は船や外洋に憧れ航海士や機関士になりたいという小中学校の学生を育むことです。それには「船」のスケールや船員の精悍さを実感してもらうのが一番です。私自身、生まれ育った神戸の港で、身近に外航船舶に接し、船乗りになりたいと思ったものです。「高専フェア」のような、船を実感してもらう地域交流活動には未来に向けて絶大な効果があり、今後も一層注力していきます。

辻先生のご経歴を簡単に振り返って頂けますか。


「“船の素晴らしさをもっと多くの方々に伝えたい”、“船を多くの方々に見て貰いたい”、といつも思っています。」 練習船 広島丸 甲板於

幼少時に身近だった外航船舶に憧れて私が船乗りを志したことは述べましたが、想いはその後も潰えることなく、神戸商船大学(2003年に神戸大学と統合)に入学しました。
ところが、就職活動時期が、日本経済を襲ったオイルショックと重なったのです。国内の海運業界は最も影響を受けた産業の一つ。航海士への門戸は閉ざされました。

その時、担当教授から「船に乗ることだけが船乗りの仕事ではない」と言われ、大島商船高専に教員として着任しました。それが、現在の広島商船高専校長まで続く教育者としてのスタート地点です。
当初は、機が熟せば商船会社への就職や大学での研究職に移るという考えもありました。ところが、教員と学生の距離が近く、手応えの大きな商船高専の職務に程なく魅了されてしまったのです。『船に乗る船乗り』にはなりませんでしたが、航海士や機関士、その他海運関連に従事するたくさんの卒業生を送りだした『教育者としての船乗り』の仕事には、感謝の気持ちと誇りを抱いています。

教職に就いてからも研究は継続し、海上交通工学で博士号を取得。明石海峡大橋の建設に伴う船舶航行の安全確保に関する論文の執筆など、航路体系の分析と航路設計に関する幾つかの研究をまとめています。関門海峡で頻発していた事故の分析から航路の見直しを海上保安庁に提言したところ、そのプランが採用され、ここ10年は事故が発生していないという現実的な成果につながっています。まだまだ再設計が必要と考えられる航路は多く、研究意欲は衰えていません。

商船高専の在学生および卒業生へのメッセージをお願いします。


「海に囲まれた島国である日本には『船』が必要で、モノづくりのためにはそれを運ぶ『輸送』が欠かせません。海運業を志す人材が一人でも多く生まれることを願って止みません。」

まだまだ若い卒業生、そして在校生には、いずれ一人前の航海士や機関士、海運会社の社員、あるいは様々な産業領域で活躍する人材として、自分の限界を乗り越えていって欲しいと考えています。

ここで言う「自分」とは、卒業生・在校生自身であり、また私という人間がかけている期待でもあります。入試の成績でギリギリの合格でも、その後に伸びてトップで卒業した学生もいます。在学中に色々と手を焼いた学生が、大手企業に入社した後に活躍して本人も想像できなかったであろう出世を果たしたケースもあります。そうした学生たちの成長を見るにつけ、私は深い感動を覚えます。

自分を大きく成長させるには、不断の努力が必要です。
「技は努力なり」。私は全ての卒業生と学生に、努力を続けられる人であって欲しいと願っています。

本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力いただき、ありがとうございました。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。