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高専インタビュー

課題解決力を伸ばす「自主探究」、学習の集中度を高める全国初の「4学期制」、そして「グローバルエンジニア教育」で高専教育を進化させる八戸高専。

Interview

八戸高専の概要をご紹介下さい。


校舎は、十勝沖地震(1968年)、三陸はるか沖地震(1994年)の2度の甚大な地震災害を受け、1996年度から整備が進められたのち、「文部省文教施設部長賞」、「八戸市まちの景観賞」を受賞するに至りました。

八戸高専は昭和38年に設置され、当初は機械工学科、電気工学科、工業化学科の3学科でスタートしました。その5年後に土木工学科が増設されています。そして、令和3年には本科の機械システムデザインコースが、医療分野の進化において工学の重要度や貢献度が急激に上がってきたことから機械・医工学コースに名称変更されました。
このように、本校では開校から現在に至るまで、時代の求める人材育成の要望に沿って柔軟な学科再編が幾度か行われてきました。

その中でも最大の改組が、平成27年度に行われた従来の4学科を産業システム工学科の1学科・4コースに集約したことです。4つのコースは、「機械システムデザイン」、「電気情報工学」、「マテリアル・バイオ工学」、「環境都市・建築デザイン」と、従来の学科の流れを汲んでいますが、1学科としたことによって学生は選択したコースの専門性を深めつつも他のコースと重なる複合領域を学びやすくなりました。実際に、各コース間の交流や連携を促すべく、1年生ではコースの垣根を設けない混合学級の編成を行っています。専攻科課程も本科と同様の考え方から、従来の3専攻を産業システム工学専攻の一つに集約し、4コースを設定しました。

八戸高専の特徴的な取り組みについて教えて下さい。


「自主探究」のポスター発表会風景。発表は3日間かけて、教員だけでなく保護者、外部団体、外国からの招待者にも公開をしています。

本校の教育施策を最も特徴付けているのは平成27年の1学科・4コース化と同時に実施された4学期制の導入です。これは、春、夏、秋、冬それぞれの季節で学期を4分割し、既存のカリキュラムを効率的に進める学修体制に不可欠と考えて採用したものであり、その背景には本校が独自に導入している「自主探究」活動に割く時間を十分に確保するという目的があります。

本校における「自主探究」活動とは、自ら抱いた科学的な疑問や自ら取り組みたいと考えている科学的な課題に対して、まだ誰も出していない答えを解決するために探索し、見極めようとする活動であり、正式なカリキュラムとして実施されています。一般の課題解決型学習から一歩踏み込み、あらかじめ課題を準備するのではなく、学生自らが課題を見つけ、問題点を浮き彫りにし、それを踏まえて解決まで導くことで、本物の課題解決能力を養うことができるという考えがここにあります。

もう少し内容を詳しく述べますと、自主探究を行うのは1年生から3年生までであり、学生1名が1年間で1つのテーマを探究します。原則はそうですが、中には互いの専門知識を持ち寄ってチームを組むケースもあります。テーマについては、1年生は既存の枠に捉われない自由な発想で探究し、2年生と3年生は自分の専門コースで学んだ内容を活かした探究になります。また、そんな彼ら彼女らに寄り添うファシリテーターとして、4年生と5年生の中から数十名が選抜されて自主探究をサポートすることになります。このファシリテーターに任命されることは4年生と5年生にとっては成績優秀者に与えられる名誉であり、自らの卒業研究で多忙な中にも拘らず、誰もが後輩たちの活動を1年間にわたって真剣に支援します。これらの事実から、自主探究活動が本校に根付いていると言えるのではないでしょうか。

実際の活動は、春と夏の2学期は課題の発見に時間を費やし、秋と冬の2学期で課題解決に向かうというスケジュールが組まれます。そして春休みに入る2月の末に、自主探究活動の集大成としてポスター発表会を実施。学生たちは1年間の自主探究活動の経緯、探索した問題、解決策を、一枚のポスターにまとめて体育館に設置されたボードに張り出し、自分の言葉でプレゼンテーションする機会を持ちます。
発表だけに終わりません。更にこのポスター発表では、教員、保護者、外部団体や外国から招待したお客様に採点用紙が配られ、投票をいただいています。その結果、校長賞をはじめとする優秀賞の数名が表彰されます。そこには数々の喜びや感動の涙が見られます。学生たちが真剣に取り組んだ証と言えるでしょう。令和5年度の校長賞は、回転する紙状のものに絵を描き、回転速度とCCDカメラのスキャン速度が同期した時だけ意味のある画像が浮かび上がる仕組みの発表です。一種の暗号技術であり、セキュリティへの問題意識を持った学生の自主探究成果でした。

4学期制の導入や自主探究制度に見られるような本校の進取の気風は、他にもあります。9月の特別選抜入試制度もその一つで、これは中学3年生の9月に推薦入試を行うことで、合格内定者は残り半年近くの中学生生活を受験勉強に捉われず、プレ自主探究の実施など高専で学ぶための助走期間に充てることができます。また、学年の区切りが夏にある海外からの留学生を受け入れやすくしています。

グローバルな面での取り組みはいかがでしょうか。


北辰寮は400名入寮できる規模を誇り、男子寮、女子寮と混住型国際寮(留学生が各フロアに1名以上)に分かれています。海外からの留学生の受け入れにも十分に対応し、グローバルエンジニアの育成に寄与しています。

八戸高専のもう一つの特徴が、グローバルエンジニア教育です。高専が最初に創設された昭和30年代末の頃は高度経済成長期の真っ只中で、中堅技術者の育成に重点が置かれていました。それから60年ほど経て、数々の産業構造の変化を受けた現在では、グローバルで通用する高度な技術者の育成が高専に期待されています。こうした背景から要望を先取りし、本校では海外で活躍する、海外との技術交流や海外進出のキーマンとなる、或いは海外市場を見据えたものづくりを果たすといった、国際的エンジニアの輩出に注力してきました。

先程述べた自主探究活動もグローバルなスケールで行っています。これまで数多くの本校の学生たちが、シンガポールやモンゴル、タイなどでの海外研修に参加し、現地の学生とのグループワークの中で異文化理解を深めてきました。そこではコミュニケーション能力やチームワーク力を向上させ、多文化の中での問題発見や解決を図る力を養い、その成果を発表してきたのです。近年はコロナ禍で自粛した時期もありましたが、すでに例年の交流ペースに戻ってきており、令和5年の9月にはシンガポールのテマセクポリテクニックと新モンゴル高専に学生を数名ずつ派遣し、令和6年3月にはテマセクポリテクニックで行われた10日間のプログラムに5名の学生を派遣しました。

学生がグローバルエンジニアとして成長するベースとなる英語教育にも力を入れています。英語学習の進度の目安としてTOEICを活用し、目標点数に到達しない学生には補習で丁寧に底上げを図ることで、本校の学生の専攻科修了時点では、平均スコアは600点を超えています。このスコアは大学院に進学する大学の学部生と遜色のない水準であり、他の高専の平均点を大きく超えています。700点オーバーの学生も少なくありません。この英語教育の成果は学生の海外指向を確実に強めており、国立高専機構が高専各校に海外留学や海外研修に毎年50名の学生派遣を要望する中、本校は昨年度で70名の学生の渡航実績を誇っています。しかもそのほとんどが、自ら手を挙げて希望した学生たちです。

もちろん本校内においても海外からの留学生と日本人学生との交流は盛んで、国際寮が既に3棟ありますが、更にもう1棟を建設中です。

八戸高専の地域連携についてご紹介下さい。


古川 琢磨(こがわ たくま)機械・医工学コース 准教授

山本 歩(やまもと あゆみ)マテリアル・バイオ工学コース 准教授

本校の位置する青森県には、本拠や研究開発拠点を置く大手企業、或いは学生の就職人気度において東北地方で上位にランクされる企業が少ないこともあり、卒業者の約半数は首都圏の著名企業を中心に希望通りの就職を行い、残り半数が大学に進学します。ところが、就職して数年から10数年を経て地元に帰りたいと考える卒業生が一定数ですが存在します。そこで、本校ではそうしたUターン転職希望者に対してサポート体制を強めようとしています。八戸を中心に地元には規模こそ中堅・中小ながら、優れた技術を持つ優良企業が存在し、本校OBやOGの新たなステージとして推薦することもあります。そして、そのような企業と本校の教員が共同研究や共同事業を行うケースは多く、地域課題の解決につながった数々の事例があります。

例えば、機械・医工学コースの准教授であり工学博士の古川琢磨先生が学生たちと進めているのは、皮膚温度から身体の深部温度を特定する数値解析プログラムの開発です。このソフトをウェアラブルデバイスに搭載することにより、ヒートショックを予防する技術を確立されました。サウナを利用する装着者の深部温度と脈拍数、血圧を常時モニタリングし、危険状態と判断した時にアラートを発する仕組みになっています。古川先生によれば、この研究のきっかけになったのは八戸市に残っている銭湯文化に触れたことだそうです。市内にはサウナを併設している入浴施設が数多く、たくさんの市民に親しまれています。ところが、高齢化が進んでいることもあってヒートショックやそれに起因する入浴中の事故も少なくないようで、古川先生は東北大学の大学院時代に伝熱工学を専門としていたこともあり、この問題に熱と生体の両面から挑みました。最初は八戸市内の銭湯にご協力を頂き、研究が進むと大規模な温浴施設で実証実験等を進める必要が出てきたことから、盛岡市でSPA銭湯を運営する「ゆっこ盛岡」の協力も得たそうです。

また、マテリアル・バイオ工学コースの准教授であり、生命科学博士の山本歩先生も、地元の文化や企業と連動した産学官連携活動で活躍しています。山本先生の専門はバイオテクノロジーで、株式会社青い森工房との共同研究を進める中で青森県の観光地にもなっている縄文時代の三内丸山さんないまるやま遺跡の地層から微生物を採取し遺伝子解析を実施。それが発酵食品に利用される出芽酵母と同種であることを突き止め、この酵母を使ったお酒やワイン、パンを、学生たちや青森県産業技術センター弘前工業研究所の協力を得て開発されました。山本先生たちが4200〜5000年前の地層から分離したこの出芽酵母は「三内丸山ユメカモス」と命名され、現在では県内外のベーカリーやワイナリーからも注目されているそうです。

土屋先生のご経歴を簡単に振り返って頂けますか。


南極地域観測隊に第31次、35次、51次に参加し地殻研究のため、極寒のなか、スノーモービルとテントに寝泊まりして、フィールドワークを続けました。
(写真提供:国立極地研究所)

画像は51次隊のセール・ロンダーネ山地の地学調査の様子、スノーモービル隊列の前から2番目が土屋校長。
(写真提供:国立極地研究所)

私が高校生の頃に第二次オイルショックが起き、世界的に資源の枯渇が懸念される事態になりました。それまで天文少年だった私はエネルギー資源に興味を持ち、東北大学工学部の資源工学科で学びたいと考え、生まれ育った信州から仙台に向かったのです。この学部、そして後の修士課程と博士課程では地質研究から、資源の探査、鉱物の製錬、流通までのプロセス全体を学ぶことができました。そして工学博士の学位を取得後、東北大学の助手としてアカデミアの研究者のキャリアをスタートさせたのです。

私の今に続く研究テーマは、地殻の中の流体と岩石の相互作用を捉え、資源となる鉱床がどのようにできるのかを探るという内容です。このテーマを追究するために、南極地域観測隊にも隊員として第31次、第35次、第51次の3回に亘って参加しました。最後の南極地域観測隊では、セール・ロンダーネ山地地学調査隊の隊長を務めています。南極は古い地層が地表近くに隆起しており、そこで採取できる岩石を調べることにより、今の日本の地下深くで何が起こっているのかを推測できるのです。
南極には3ヶ月から6ヶ月ほど滞在していましたが、設備の整った昭和基地に寝泊まりするのはわずかで、スノーモービルに乗って長時間かけて採石地に向かい、そこでテントを張ってマイナス15度からマイナス20度まで気温の下がる極寒の中でフィールドワークを行いました。日本では考えられないような強風が吹き荒れ、すぐ近くにはクレバスがあったりするなど正に命の危険とも隣り合わせです。でも、研究の醍醐味の前にはまったく苦になりませんでした。

東北大学の資源戦略研究センター長を退職し、八戸高専の校長に就任したのは2023年4月です。歴代の八戸高専の校長は東北大学を退職した教授が務めており、その経緯で就任の打診を頂いたのですが、私は是非ともお受けしたいと思いました。大学教授時代に高専出身の学生を見てその優秀さを知っていましたし、15歳から本格的な工学教育を施せると共に、まだ何色にも染まっていない学生が人間性を磨いていく場面でも教育者として力になれることに魅力を感じました。

高専の在学生及び卒業生へのメッセージをお願いします。


5年間高専で培った高度な工学知識や技術は、日本社会が必要としています。これまでのキャリアに自信を持ち、益々の活躍を期待しています。

高専生は、数だけを言えば同年齢の中でわずか1%に過ぎません。しかし、他の99%が直面する受験勉強やその目安となる偏差値で輪切りされる自己評価、或いは厳しい高校卒業生の就職環境に翻弄されず、5年間にわたって高度な工学の勉強に集中することができます。そうした歩みの中で身につけた創造的な知識や技術、実践的な研究には自信を持って欲しいと思います。

高専で磨かれた皆さんの力は、今の日本の社会が必要としているものであることは間違いありません。OBやOGの皆さんも、これまでのキャリアに自負を持ち、これからの人生をいっそう実りあるものにして下さい。これは八戸高専に限ったことではありませんが、もしも地元に戻りたいと考えるなら、きっとあなたの技術と経験を必要とする優良企業を見つけられることでしょう。もちろん現在の企業や研究施設で大きな成果を残す方も多いはず。皆さんの活躍がたくさん聞こえてくることを期待しています。

本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力頂き、ありがとうございました。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。