高専インタビュー
長岡高専に期待をかける地元企業や自治体とタッグを組み、次代を牽引していく人財を育んでいます。
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昭和37年に最初の12校が設置されて以来、1960年代に急速に数を拡大し、現在では国立高等専門学校(以下、高専)機構によって国内各地に51校を展開する国立高等専門学校。高度経済成長期から今日に至るまで産業界に多数の人財を輩出してきたこの高等教育機関は、卒業生が実践的な技術を身に付けていることで知られます。一般の高校と同様に中学校を卒業した生徒を新入生として受け入れますが、高専では入学直後から5年間に渡って実験や実習を通した技術教育が施され、2年間の専攻科への進学を選択すれば更に専門性を高めることができることから、実社会に出ても即戦力と言える実力がしっかりと身に付くのです。
このような高専のもう一つの特徴は、教員の大半が理工系の博士号を持ち、学生への授業と自身の研究を併行していることです。そこには企業や自治体等との連携があり、共同研究や共同開発、更には課題解決型の授業を通して学生たちを巻き込んで行う地域貢献が見られます。
地元の期待を背負って開設され、約60年に渡って濃密な産学官の連携を進めてきた長岡高専は、盛んな地域連携で高専の中でも注目を集める一校。今回は小林校長に、学生と教員がどのように学校外の活動に着手しているのか、他の高専と教育環境や制度の違いがあるのか、詳しくお聞きしました。
(掲載開始日:2023年2月9日)
長岡高専の概要をご紹介下さい。
広大な新潟県の中越地方に位置し、古くから信濃川を利用した水運で開けていた長岡市ですが、明治20年に東部の丘陵地で東山油田が開発され、掘削機械をメンテナンスするために急速に機械産業が発展しました。以来、機械関連の技術が集積した長岡市は北信越有数の工業都市の一つとなったのです。
昭和51年に長岡技術科学大学が開学したことに加え、昭和54年度までは新潟大学の工学部が置かれていたことが、そうした機械産業の街であることを物語っています。
本校も、長岡市を中心とする地元企業の期待を背負い、当初は国立の長岡工業短大として昭和36年に開学しました。
長岡高専となったのは翌年のことでした。開校当初は機械工学科、電気工学科、工業化学科の3学科でスタート。現在では、機械工学科、電気電子システム工学科、電子制御工学科、物質工学科、環境都市工学科の5学科まで拡張しています。
長岡は「米百俵(こめひゃっぴょう)のまち」でもあります。明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩を救援するために支藩の三根山藩(みねやまはん)から米百俵が届けられました。ところが同藩は、百俵足らずの米を住民に配っても数日で無くなってしまう、それならば将来への発展に活かそうと国漢学校の設立資金に使ったのです。
その結果、将来の長岡を支える人財が続々と輩出され、やがて街は賑わいました。この実話から長岡には教育投資を大切にする「米百俵の精神」が息づくようになり、風土として根付いたのです。
私は本校の校長に令和4年に着任したばかりですが、長岡市や周辺地域の教育熱の高さ、加えて教育機関への期待と信頼を、事ある毎に感じています。
長岡高専らしい取り組みを教えて下さい。
本校のカリキュラムの最大の特徴は、学科・専攻科横断型一貫教育プログラムを取り入れている点にあります。これは、学科や専攻単位で本来の専門教育プログラムを卒業までに履修しつつ、多様化する社会のニーズに応える3つの次世代型専門教育プログラムの中から学生が選択して受講する内容になっています。
本科4年生と5年生の2学年で修了する「ベーシックコース」と、本科4年生から専攻科2年生までの4年間をかけて履修する「エキスパートコース」があり、いずれも学科・専攻を横断して編成します。また、3つのプログラムの内訳は、1つが「ヴァンガード・エンジニア育成プログラム」であり、これはグローバル人財に必要とされるコミュニケーション能力やチャレンジスピリット、異文化理解を育成する内容となっています。2つ目が「システムデザイン教育プログラム」。これは多様な人財と協働して、主に地域課題の抽出とその解決を行うことで、イノベーティブな課題解決力を涵養(かんよう)します。そして3つ目が「アントレプレナー育成プログラム」です。文字通り、起業家精神を育み将来の経営者の輩出を目指し、実際に起業して活躍されている本校卒業生の協力によるセミナーや、課題解決プログラムを実施しています。
本校は平成27年に国立高専機構から、教員が日々の教育活動に加えて研究活動にも注力できるスキームを確立するために、研究推進モデル校に採択されたのですが、この時に若手の教員が中心になって誕生した本校独自の教育手段が「JSCOOP(Job Search for local companies based Cooperative education)」です。
これは教員の研究テーマ抽出と、学生たちを巻き込んで行う地域連携を両立させるものであり、課題抽出力、課題解決力を備えたイノベーション人財を地域産業界と連携して育成していく授業の形で実施されます。
具体的には、まずは学生が地元企業を知るために、対象企業の経営者や社員の方々を取材。そこで得た情報を基に会社のPR記事やリーフレットを作成し、更に許可を得た上でSNS等で発信します。次に、取材の中で把握した対象企業が抱える技術課題について、解決案の提案を目指すことになります。
長岡高専の地域連携についてご紹介下さい。
冒頭で、長岡は「米百俵のまち」と紹介しましたが、米百俵の精神は本当に今もこの地に脈々と受け継がれています。近年の話ですが、本校の学生がロボコンで活躍しているのを知って、多額の寄付をして下さった企業の方もいらっしゃいました。
また、どの高専も共同研究や共同開発を進めるベースとなる地域の企業による技術協力会を組成していますが、本校における参加企業数は300社を超えます。この数は全国の高専でもトップクラスであり、本校周辺の産業基盤を考えれば、本校は極めて手厚い応援とサポートを頂いていると言えるでしょう。
例えば、先ほど紹介したJSCOOPの原点である専攻科の授業「エンジニアリングデザイン演習」は、地域産業界の支援無くしては実現できなかったものです。この演習では、企業をはじめとした地域が抱える課題を本格的に解決することを目指します。
そこで学生は協力頂く企業に足繁く通い、企業経営上でどのような課題があるのかを抽出し、技術を駆使した解決策を構想していきます。この活動が現実の解決を導き出すことは珍しいことではありません。
今年度の例で言えば、本校の校長補佐(次世代教育推進担当)でもある外山茂浩教授も担当した本演習に大きな成果を期待しています。それは、電子機械システム工学専攻1年の堀内宏輔さん、山口友也さん、渡辺麟さん、そして環境都市工学科専攻1年の恩田樹安さんがチームを組んで挑んでいる『製造現場作業員の配置を最適化する動線の解析、並びに自動部品運搬ロボットの導入』 という取り組みで、作業員の動線解析を行うためにヘルメットのマーカーを読み取る位置情報検出技術や、運搬ロボットをジェスチャーコントロールで遠隔操作するために骨格検出とAI判定の導入を図るなど、チャレンジングな内容になっています。
協力頂いた工作機械メーカーが抱えていた製造現場の作業効率の問題を大幅に改善できる見込みとのことです。そして、その成果を発表するべく、4名は令和5年度の全国高等専門学校ディープラーニングコンテスト(DCON)へのエントリー準備に取り掛かっています。
この他にも、地域産業界との連携は数多く稼働中ですが、本校並びに長岡市内の4大学と商工会議所、長岡市が協力して行っている活動の「NaDeC構想」でも多彩な実を結んでいます。NaDeC構想は、技術科学、デザイン、経済・経営、看護を学ぶ学生たちの自由な発想と、長岡の企業が持つ幅広い分野の経営資源を融合し、新たな産業を起こし、次世代の人財育成を目指すものです。
参加する商工会議所・長岡市があるエリアと、本校及び長岡大学のあるエリア、長岡技術科学大学並びに長岡崇徳大学のあるエリア、そして長岡造形大学のあるエリアを線で結ぶと三角すい(Delta Cone)の形になることからNagaoka Delta Coneを略して名付けられました。
学校や企業の枠を超えて人が集い、新たな挑戦に向かうための空間であるNaDeC BASEは現在ながおか市民センター内にありますが、令和5年の夏に新たに完成する「米百俵プレイス ミライエ長岡」に移転の予定です。
社会に出て活躍されている卒業生をご紹介下さい。
本校はこれまでに、数々の起業家や大企業の経営者を輩出してきました。オリンパス株式会社前々社長の高山修一さんは本校卒業者ですし、最近ではフラー株式会社の渋谷修太さんが有名です。
渋谷さんは本校の電子制御工学科を卒業して筑波大学に編入学し、就職したグリー株式会社にてソーシャルゲーム最盛期にマーケティング事業に従事した後に、アプリ分析サービスや企業のデジタル支援サービスを行うフラー株式会社を創業。2016年には経済誌フォーブスが年に1度選出する「アジアを代表する30才未満の30人」及び、一般社団法人G1による「新世代リーダー・サミット」のメンバーに選出されています。
渋谷さんの他にも、営農支援ツール「アグリノート」を開発・運営するウォーターセル株式会社代表取締役の長井啓友さん、総合教育企業スプリックスの創業者である平石明さんが、本校の卒業者です。
長岡高専のグローバル活動についてお聞かせ下さい。
本校は以前から学生たちが海外に出て、異文化体験を通じて国際的な視野を養うことを目的とした海外派遣研修を実施してきました。
コロナ禍前は、毎年マレーシアのアドテックマラッカ校、モンゴル高専技術カレッジ、タイの泰日工業大学、メキシコのグアナファト大学などを本校の学生たちが訪問していました。
他にも学術交流協定を結んでいる様々な協定校から短期留学生を招いていましたし、シンガポールのナンヤンポリテクニック、フィンランドのトゥルク応用科学大学、フランスのリールA技術短期大学、タイのキングモンクット工科大学から共同研究を行う留学生を、専門分野に応じて本校の各研究室が受け入れてきました。さらに、タイの中学を卒業した学生を新入生として毎年2名ずつ受け入れはじめ、現在は5年目に入っています。
タイ高専からも毎年2名ずつ3年生に編入する形で留学生を受け入れています。その他、本校はモンゴルの支援校にもなっており、インターンシップを希望する学生を招いて長岡市内の企業に紹介・支援することも行っています。
こうしたグローバルな取り組みにより、コロナ禍以前は毎年約70名の学生を海外の協定校を中心に送り出し、約70名の学生を海外から受け入れていましたが、2023年度から順次再開の予定です。
小林先生のご経歴を簡単に振り返って頂けますか。
群馬高専の電気工学科を卒業して長岡技術科学大学に編入学し、修士課程まで終えた私は、昭和57年に松下電器産業株式会社に入社しました。
音響工学を専攻していたこともあり、就職後に取り組んだのはCDプレイヤーの開発でした。それを先輩たちと共に何とか成功させて、次にオーディオアンプやスピーカーの設計を任され、6年半に渡って勤務したのです。
その後に雇用促進事業団小山職業能力開発短期大学校講師、群馬職業能力開発短期大学校講師を経て群馬大学で博士の学位を取得し、北陸先端科学技術大学院でリサーチ・アソシエイトを務めた後に、小山工業高専助教授となりました。
小山高専では副校長まで勤め上げ、次は釧路高専の校長に着任。そして令和4年から長岡高専の校長を務めています。
高専の在学生及び卒業生へのメッセージをお願いします。
私はものづくりやイノベーションを成功させる最大の要因は好奇心だと考えています。自分が面白いと思ったことをやり続けた先に、大きな成果が得られるのだと思います。
そして、そうしたやりたいことを思う存分にできている時が、人生で一番輝いている時間であるはずです。そこではいかに忙しくとも苦しさを感じないかもしれません。
私はかつての就職先企業でCDプレイヤーを開発していた時、眠る時間がもったいなく感じるほど開発に没頭していました。1週間も会社に寝泊まりした時期もありました。それでも苦とは思いませんでした。CDプレイヤーを世に送り出す開発に熱中していたからです。
好奇心を持ち続けてください。好きなことに取り組んでください。皆さんが高専で学ぶ内容、学んだ技術は、社会に出て自ら輝く時間を引き寄せるために、十分な質であるはずです。今よりも数多くの高専卒業生が光り輝く時代が到来することを楽しみにしています。