高専インタビュー
瀬戸内の海上交通の要衝に設立され125年。 地域の熱い期待に今も応え続けています。
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現在、日本各地に51の国立高等専門学校機構の設置による国立の高等専門学校(以下、高専)があります。設置の初年度が1962年であることから、2022年に高専は創立60周年を迎えました。しかし、それよりもかなり早くに開校した高専が存在します。1897年(明治30年)に創立し、2022年に125周年を迎えた大島商船高専もその一校。「大島郡立大島海員学校」として創設され、4年後に「山口県立大島商船学校」に。更に1951年(昭和26年)に「国立大島商船高等学校」となり、そして1967年(昭和42年)に現在の「国立大島商船高専」に昇格したのです。
明治期の周防大島(屋代島)島民たちからの熱望によって創られたとされる同校は、以降も地域との結びつきが強く、時代に即した数々の施策に取り組んできました。日本の海運業の期待を背負う商船学科に加え、電子機械工学科と情報工学科も地域産業の興隆やさまざまな地域貢献に深く関わっています。そんな大島商船高専の学生・教員たちの活躍を古莊校長にお聞きしました。
(掲載開始日:2022年7月29日)
大島商船高専の概要についてご紹介下さい。
大島商船高専が位置する山口県の周防大島(屋代島)は、古代から瀬戸内海の海上交通の要衝で、村上水軍とも深いつながりを持ち、1866年に長州軍と幕府軍が戦った「四境の役」においては、大島口の戦いで長州軍が勝利を収めたことが、その後の明治維新を引き寄せることとなりました。
そんな歴史の大舞台を担った大島ですが、維新後は明治政府の産業振興政策からは取り残され、海外へ移民する島民も多く、窮乏状態に陥りました。
島を何とか発展に転じさせたい…その起死回生策の一つが明治30年の海員学校設立でした。学校ができれば多数の教員や学生が対岸から集まって島が賑わうと考えられましたし、洋式の船員養成機関への憧れもあったそうです。
当時の島民の皆さんの期待は相当大きなものだったことでしょう。そして、この海員学校が紆余曲折を経て現在の大島商船高専へと連なるのです。
そんな本校ですから、歴史上一貫して地域との結びつきは強く、また我が島の高等教育機関として島民の皆さんからは温かい眼差しをいただいています。航海士や機関士の養成を主眼に置く商船学科が125年の歴史を受け継ぎつつ、昭和60年に電子機械工学科が、昭和63年に情報工学科が改組等で誕生したことで、島内及び対岸の柳井市や岩国市との産業連携も進み、地域連携の内容はより広範囲に、更に深まりました。
地域社会との連携についてお聞かせ下さい。
歴史的な経緯により地域密着度の高い大島商船高専は、地域社会との連携を進める高専各校の中にあっても、ひときわ高い熱量を持って連携施策に取り組んでいます。大島町、柳井市、岩国市と取り交わした包括連携交流協定は既に10年が経ち、幾つもの施策が実を結んでいます。
また、「島スクエア」と名付けた産業興隆施策にも注力してきました。これは、大島地区で起業を考える方を対象に、本校が中心となって専門家や有識者を招き、場所と設備を提供することで、学んでもらうものです。
他にも地域企業との地域連携交流会を進めております。地域社会の発展を目指し、共同研究を推進。現在の参画企業・団体数は51団体に上ります。
更に本校に設置された技術支援センターも、実験実習を中心とした本校の学生への教育に加え、地域貢献を目的としており、令和3年度は「レーザー加工機でオリジナルチタンプレートをつくろう」と題した公開講座などを実施しています。同センターはまた、船舶関係では実習船「すばる」を利用した地域貢献活動を行いました。大島大橋の橋脚付近で潮流を利用した発電実験を行った「海洋パイオニアスクール」や「親子沿岸環境学習」などがその一例です。
また、情報工学科と電子機械工学科の学生を中心に地域の小中学校を訪問し、インターネットの安全利用に関する啓発活動を出前授業の形で行う他、山口県警のサイバーセキュリティ対策に協力してインターネットの不正アクセスを監視する「大島商船高専サイバー犯罪抑止隊」と呼ばれる見守り隊のメンバーを学生の中から学校側が指名しています。
見守りと言えば、逆に島民の方々からしばしば学生についてのさまざまな情報が学校に寄せられます。中には通学時の自転車の通行経路等についてご意見を頂くなど、学生たちを暖かく見守って頂いている証しだと感謝しています。
大島商船高専の特徴的な取り組みを教えて下さい。
本校は商船高専であり、練習船の「大島丸」や実習船の「すばる」を保有しています。そして船を用いた海洋実習を年中行っています。ただ、練習船や実習船は商船学科の学生だけが使用する訳ではありません。自分の学校の船について愛着を持って知ってもらうために、電子機械工学科と情報工学科の学生にも乗船機会を設けています。
これらの船には、学生や教員の授業や研究以外にも重要な目的を持っています。それは、未来の航海士や機関士の卵を育むことです。地域の小中校生に体験乗船してもらい、船の楽しさ醍醐味までも知ってもらうイベントに使用されています。それがきっかけで船乗りになりたいという夢を持ってもらえたら最高ですね。
総トン数228トンと最も大きな練習船である「大島丸」は進水から30年が経ち、老朽化が否めません。そこで、新たな練習船を製造中で、2023年春に完成予定です。新しい大島丸は更に大型化されて370トンに及び、設備も最新のものが艤装されています。新しい練習船の進水に校長の立場で臨めるのは、とても喜ばしいことです。
本校が海員学校を起点に125年の歴史を積み重ねてきた中で培ってきた伝統があります。その一つが、「手旗おどり」です。これは、商船高校から商船高専に移行する段階で体育祭の余興から始まったものです。それから半世紀以上、代々の学生たちに受け継がれ、YouTubeにも複数の動画が上がるほど毎年の秋の文化祭の披露を大島の島民の皆さんが楽しみにしています。
近年の学生たちの活躍ぶりを教えて下さい。
ロボコンやDCONなどの高専生対象のコンテストにも力を入れている本校は、これまでにも優秀な成果を残してきました。
最近の実績を言えば、北風教授が指導する学生たちが第3回全国高等専門学校ディープラーニングコンテスト(通称DCON)2022において、経済産業大臣賞、KDDI賞、AGC賞を受賞しています。
受賞対象となったのは、審査員から未来の夢のあるシステムと評価された、キクラゲの自動収穫システム「New Smart Gathering」です。
AIでキクラゲの収穫最適時期を形状から自動判別し、ロボット技術を用いて自動収穫するといった内容で、キクラゲ農家の生産性向上や人手不足の問題を解決できる可能性を開きました。
私がこの成果を大いに褒め称えたいのは、一連の開発を、柳井市のキクラゲ農家の「収穫作業がキツイ」という生の声を受けて取り組み始めたことです。地域に密着した大島商船高専らしさが遺憾なく発揮された研究だったのです。
古莊先生のご経歴を簡単に振り返って頂けますか。
昭和53年に神戸商船大学(現神戸大学)の商船学部航海学科を卒業した私は、同年に運輸省(現国土交通省)に入省し、航海訓練所の助手兼練習船の三等航海士として海事エキスパートのキャリアをスタートさせました。
その後に航海訓練所の講師、助教授を歴任し、海上交通心理学を専門に博士号を取得、加えて一級海技士(航海)も取得しています。
平成に入ってからは神戸商船大学に移り、船舶安全学を専門に助教授となり、練習船の深紅丸の船長も併任しました。
教授に昇格後は平成15年から2年間、JICA(国際協力機構)から海事共同研究でトルコのイスタンブールに派遣されました。平成28年から2年間は日本航海学会の会長も拝命していました。
また、平成27年には海事とは一見したところ関係のないように思える照明学会の副会長も、心理学のつながりで務めました。
教育者として、研究者として、航海士として、私が一貫して大切にしているのは「思いやりの心を持つ」ことです。航行の安全のベースは、気象や海象はもちろん、運行状況や船舶周囲の環境、仲間である乗員に至るまで、さまざまな対象に思いを巡らせ、心を配ることにあります。つまり、思いやりが出発点です。教育も同様で、相手を想って取り組まなければ、何も伝わりません。
高専の在学生及び卒業生へのメッセージをお願いします。
私が本校の校長に着任した当初は驚きの連続でした。何よりも、学生たちの目は実践的に学ぶことの楽しさにイキイキと輝いています。教員のひたむきな姿勢に関しても頭が下がる思いです。授業にも自身の研究にも学生への生活指導にも、全力で取り組んでいる姿には感銘を受けました。更に、設備に関しても大学よりも整っている。これらの事実は、どの高専であっても同様でしょう。
そうした高専で学んだこと、経験したことは、とても充実したものであることに間違いありません。そして、学生同士の共同実験や共同実習が多く、寮で生活する学生の多い高専生は横の結び付きも強く、友人もたくさんいることでしょう。そうした高専で培った仲間のネットワークを活かして、あるいはそこから更に広げて、自分の夢の実現を追いかけていけるのではないでしょうか。
そうして自分のコンパス(羅針儀)をしっかりと歩んで欲しいと思います。